21世紀の農業革命を体験

糸桜の故郷から山本さんの林間放牧を研修

社団法人 山口県畜産会 清水 誠

島根県からの依頼

「清水さーん、山口県へ林間放牧を見に行きたいと頼まれたんだども…」と電話してきたのは島根県畜産会の吾郷さん。話の内容は、中央畜産会の経営情報に載った防府市の自称林業家・山本喜行さんの「21世紀に向けた農業革命」を読んだ横田町の営農指導員藤原さんから依頼があったとのこと。「これまで視察と言えば大きな畜産団地や優良事例ばかりだったが、もっと身近に参考になるやり方をしている畜産農家がいるのではないか、と探していたら経営情報に山本さんの記事があり、その考えが気に入ったので、是非に」という内容だったそうだ。横田町と言えば、あの「第七糸桜」の生まれたところ。和牛の繁殖地域としては有名なところではないか。さっそく、山本さんに連絡したところ快く引き受けてくださったので、藤原さんと日程を調整し、山本さんの林間放牧視察へ案内することとなった。

当日はあいにくの曇り空

当日の天候は曇り。待ち合わせ場所から約20分、車1台がなんとか通行できるような道を通って、家の入り口へ着いたのが昼の1時半。道端へ車を置いて、石垣の壁を横目に通り本宅へ向かうと、山本さんご夫妻が庭で快く迎えてくれ、まずは自己紹介。横田町からは藤原さんを含め総勢6人。専業の畜産農家が2人おり、畜産青年部の一員だとか。お昼に食事だけではなかったようで、少し顔色の良い人もおられたが、予定通り、林間放牧を体験してもらうこととした。

牛たちの放牧コースを登山

まずは、放牧牛の牛舎から。県の補助事業で作った低コスト牛舎で、あの19号台風で倒れた木を利用した手作りであり、段差を利用したイナワラ収納スペースが特徴である。次に、転換田で遊んでいる牛を見ながら、放牧についての説明。山本さんの水田は山ばかりの立地条件からは考えられないほど纏まっており、特に石垣が2.5メートルはあるのが特徴で、このためにあえて柵は無くても牛は移動できないそうである。しかも、1年間放牧しても、翌年はちゃんと水田に復活できるそうである。

牛たちに見送られながら、平成10年4月に完成した、自称「ログハウス牛舎」まで山道を歩いて約20分。この道も全て山本さんがユンボで切り開いたであり、途中荒地に生えている草を指し、「山に道をつけるとごらんのように土が剥き出しになり、大雨が降ると侵食がひどくなる。この山は真砂土が多く、流れやすいのでどうしようかと考え、この真砂土を牛舎の敷料に使ってみた。しばらくすると真っ黒になったので、このような荒地へ持ってきた。そうすると、このように草が生えてきます。私にとって山は牛の敷料にもなるのです。」と説明してくれた。その他、牛道の解説や出荷すれば金になる花シバを牛が食べないことなどを話しながら、やっと目的地へだとり着いた。

新作「ログハウス牛舎」

ログハウス牛舎について山本さんは「ここも、造成から建築までほとんど私一人で行いました。ごらんのように屋根があり、飼曹があるだけです。私はここを牛たちの点呼の場所と考えています。山仕事の休息場でもあります。また、辛夷の花が咲く頃には知人がたくさん集まり、ここで宴会をするのが毎年の恒例行事となっています。将来は道の駅ならぬ山の駅として、都会からいろいろな人たちが見に来られるような施設になればと思っています。」と熱っぽく語っていた

山本式子牛離乳方法

一行はそれからさらに頂上近くまで、山道を登り、放牧牛の気分を存分に体感しながら、来た道とは別コースの道を辿って、自宅の裏へ帰ってきた。最後に、山本さんの子牛管理方法の研修である。山本さんは分娩後3日から6日で離乳させる。その後は長屋に仕切り柵を設け、一升瓶のケースを利用した飼曹が特徴の牛房で人工哺育を行う。親牛はすぐ発情が来て、種が付いたらまた山へ放される。「私たちの牛の飼い方とはかなり違う。本当の省力化について、もう一度考え直さんといかんな。」と誰かが漏らした言葉が印象的であった。

山を蘇らせた牛達

山本さんと話をしていて感じることは、目標の大きさである。もともと林業へ牛を活用したため畜産に関係している訳であるから、牛の改良を…とか、子牛市場で平均以上…と言ったことにはあまり執着していない。繁殖牛は山を生き返らせてくれる良き仲間であり、子牛はその過程で育まれた副産物である。牛たちと築き上げてきた美しい山をどうやって多くの人に知ってもらい、山の良さを感じてもらうのか。そんな事を日々考え、実行に向けて前進しているから、スケールの大きさを感じるのだろう。

横田町から来られた皆さん、大変お疲れ様でした。そして、これを読まれた皆さん、山本さんと夢を語り、放牧牛の気分を体験しに来ませんか?

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