平成13年4月
 暖冬という予想に反してこの冬は結構寒くなりましたが、寒い寒いと騒いでいる間に突然という感じで春がやって来ました。桜もアッという間に咲き春爛漫といったところでしょうか。どの花も限られた生命の中で精一杯自分をアピールしているようですネ。畜産農家の花であるところの皆様はいかがお過ごしでしょうか?
 12月には恒例の忘年会を開き、8名の出席でワイワイ楽しくおいしい料理を戴き、その後希望者で新しいサビエル教会へ行きました。暮れの慌しい時期でしたが、たまには気分も変わってよかったのでは? 
 さて、いつもの事ながらモタモタしているうちに3月も終わり、そろそろアレコレと忙しい時期になって来ましたが、下記のとおり総会を開きたいと思います。なかなか顔を合わすことがないので、出来るだけ多くの方に参加していただきたくご案内します。(平成13年4月24日)

 <ひとりごと> 

 牛肉輸入自由化からこの4月で丸10年、今や輸入牛肉は国内消費の6割以上を占めるとのことで、国内の肉牛農家数は年々減り続けているようだ。確かに近くのスーパーなんかに行っても、USAやオーストラリア産などの肉が大きな顔をしてたくさん並んでいる。国内産は品質や安全性をアピールしているが、最近では輸入物もいろいろと工夫して我々生産者を脅かす存在になりつつあるようだ。それに対抗するには何が求められるんだろうか。
 先月EU諸国でまた口蹄疫が発生したことで、とりあえず輸入物に対する不安感も出て来ているようだが、これは大変なことで、日本でも昨年大騒ぎになったし、万全の対策を講じる必要があるだろう。
 この度、ねぎ・生シイタケ・畳表の3品目に対してセーフガード暫定措置発動の動きが出ているようだが、発動の時期や方法にもいろいろ問題点があるようだし、仮に牛肉等にそういう措置がなされたとしても、それは一時的なものであり全面的な解決にはならないだろう。
 最近主にスーパーを中心に異常なくらい安売り競争が熾烈になり、牛乳なんかでも採算割れを承知の価格で定期的に並べてある。冗談じゃないと言いたい。確かにこの不景気な世の中、先の見えない不安定な時期に、少しでも安くして買ってもらいたいというのも解らないでもないが、それにも限度がある。少しでも安くするために輸入したり海外で作らせたり、それでは農業だけでなく日本の産業はみなダメになってしまうんじゃないだろうか。
 最近デフレという文字がよく目につくが、今日本の経済は大変な状況のようで、債務超過・倒産が相次ぐ中、大手製造業に小売、流通業、ゼネコン、金融業界までどうにか生き残ろうと大型合併やリストラに躍起になっている。
 農業にしても同様とても厳しい状況にあることは間違いないが、そんな中でじぶんたちに何ができるんだろうか。
 我が家は小さい道のそばにあり、時々とおりがかりの人や近所の子供たちが牛を珍しがって見に来るが、大体の人が嬉々としてみている。そういう光景を見ると、自分たちの仕事もまんざら捨てたものでもないナと思えてくる。
 自分たちの仕事に誇りを持って、それなりの目標を持って、それに向かって地道に小さな努力を続ければ、光が見えて来るのカナ。そう思いたい。
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先日の地震はちょっと強かったけど、被害はなかったですか?
 日々の努力の積み重ねは必要不可欠ですが、その中で小さな喜びを見つけていけたら、そしてたまにパーッと贅沢できたらいいですネ。
  

 今回、我がピーチクラブのエース岩崎さんから昨年のホル共のことについて原稿をもらってて、あまりの大作でワープロで打ちきれないので、そのままコピーしたのを送りますので是非読んで下さい。    それでは又!

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感動をありがとう


 ピーチクラブの皆様、21世紀が始まりましたが,いかがお過ごしでしょうか?

 5年に1度の第11回全日本ホルスタイン共進会が平成12年11月2日〜5日に岡山県児島郡灘崎町で開催されました。
 山口県の出場枠は未経産牛1頭、経産牛1頭の計2頭。2回の県内予選に勝ち残り、2頭とも我がドリームファームが出場する事になりました。
 9月の2次審査が終わってからは毎日の歩行訓練とシャンプーは欠かせないものとなりました。私たちは、搾乳はもちろん、一般管理で毎日忙しく働いています。その上この頃は中山間地の事業で耕作面積よりはるかに多いのり面の草を全部刈り取らなくてはいけませんでした。
 主人も息子(雅寛)も実習生のかおりちゃんも私も朝から晩まで一生けんめいがんばりました。その間私は搾乳中に牛に蹴られて鼻の骨を折るというアクシデント。雅寛はその10日後に疲れからか草刈り中に背負いで左の親指を雨靴の上から切ってしまい5針も縫ってしまいました。
 こんな中、本当に勇気を持たせてくれたのは実習生のかおりちゃんでした。私の代わりに主人とがんばって搾乳作業、パーラーの掃除、毎日の牛のシャンプーと歩行訓練を行ってくれました。彼女は2ヶ月間ドリームファームにいてくれたのです。
 おかげで私は3日間ですが、心からゆっくり休む事ができました。
 次に全共では1時間近くリード(牛をひいて歩く)をしなくてはなりません。どうしたものかと思っていますと前々回全共に出場された防府の松永さんがラウンダー(歩行訓練用の機械)をくださいましたので取りに行って牛舎より400m離れた堆肥舎の近くに設置しました。
 毎日そこに連れて行って1時間〜2時間歩かせては牛舎に連れ帰りシャンプーしていました。そうしているとプリンセス(経産牛)が風邪か、ストレスからか熱をだしてしまいました。
 せっかく山口の代表に選ばれたのに欠場では他の方たちに申し訳ないと抗生物質を注射し、その中でも歩行訓練とシャンプーを行いました。もうやるしかないという感じでした。
 そして10月29日は山口県の共進会でした。ドリームファームは1頭未経産牛を出品するため28日はその牛のシャンプー・毛がり、夜も12時をまわってしまいました。それに並行して前日より岡山行きの準備。持参品のリストをチェックしながら出陣式の会場まで荷物を移動しました。
 出陣式当日は県の職員をはじめ、改良同志会、JA、共済、町長さん、県酪、そして酪農家の皆さんとたくさんの方々に見送って頂きました。
 先発隊は午前6時より岡山にむかって出発。私達と牛車は出陣式後10時30分出発。
 岡山の会場には4時に到着しました。
 おかげで屋根と柱だけの牛舎にベニヤで壁を作り、パレットを敷き詰め、上に畳をひいて、そして牛の方はへだて木やません棒をくくりつけパレットの上に畳をひき、その上に敷物を敷いて何とか8時頃には形になりました。
 その間、私とかおりちゃんは2頭のシャンプーをしました。
 夕方になってその日は寒くてプリンセスが相当震えはじめまして、大変心配しました。
 岡山での1週間は1日24時間バケツを片手にうんちとしっこをとりました。牛を汚さないためです。
 10月31日は未経産牛(トニー)、次の日に経産牛(プリンセス)の写真撮影でした。この日は雨で撮影場所まで7人の関係者でテントを作りプリンセスの大名行列です。人間はずぶぬれになりながら牛を守りおまけにうんちとしっこをとる為1人バケツを持ち…。もう大変でした。どこの県もこの状態で、歩行訓練から牛体洗浄、牛が場内を移動する時はすべておつきの人がついて行きます。毛がりも半日かけてやってもらい、一安心しておりましたら、こんな刈り方では駄目だ。と言うので、別の人がこられて手直し。牛はクタクタ。ショウの前ギリギリまで背線をそろえ、つやだしスプレ−と色付け。プリンセスは漏乳しはじめ、もう駄目かと思っていましたら高知県のショウに詳しい友達になんとか止めてもらいました。
 トニ−なんか写真を撮り終わってからシャンプーしてもらったけど洗剤が残っていたらしく次の日には背中から陰部にかけてすごく腫れあがったのですぐ軟膏を買って来て治療しました。
 経産牛のプリンセスはネ。1産して38日くらいで発情がきたんです。主人はこの牛を全共に出すんだって決めていました。この度種付けがうまくいかなかったら出場は無理だって言っていました。これがなんと見事に着床したんですよ。
 一人言を言っている主人に「全共だよ。夢のような話だよ。」って言っていた私です。
 岡山での1日目は目が回るような忙しさでした。
 2日目、主人は全国から集まっている300頭の牛を見に行きました。特に8部の牛はチェックしたらしく24頭の中で優等は無理でも1等に入れたらベストプロダクション(乳量検定で最高乳量の牛に与えられる賞)が獲れるかもしれんと言い出しました。
 次の日、私も全部の牛を見に行きました。「もしかしたらいけるかも…」いきなり緊張しました。主人は「絶対入る。リードしだいだ。」と言い、息子に「プリンセスはおまえがリードするか?父さんがリードするか?」と聞きました。雅寛は「自分がリードしたい。」と言い切りました。私としては主人が作った牛を主人にリードしてもらいたかったのですが、主人が息子に任せました。雅寛も手首をいためていましたのでテーピングをしてすごいプレッシャーの中リングに入って行きました。プリンセスは練習中いつもラウンダーにひっぱられて顎を天に向け、背を丸めてイヤイヤ歩く癖があり、本番はどうなるのだろうと心配していました。…が、雅寛の熱意が通じたのか彼のリードですごくきれいに歩いてくれたんです。その結果、優等四席。ベストアダ−(乳房のすばらしい牛)、ベストプロダクションの2冠を獲得する事ができました。この時ばかりは息子が大きく見えました。姫路の大学に行っている2男がリングに入る直前に応援にかけつけてくれました。そしてその賞に輝いた途端目に涙をいっぱいうかべて言いました。「おめでとう・・・。とうさんとかあさんがいつもがんばってるの知ってるから・・・・。」って。私も泣きました。そして主人も・・・。それからちょっとして主人と2人きりになった時「ありがとう」って握手したんです。なんかその時、酪農やっててよかったって本気で思いました。だってこんなに家族が1つになれるってすごい事でしょう。次の日第4部トニーの審査でしたが残念ながら2等で終わってしまいました。
 主人のつけたドリームという冠名の通り夢に向かって進もう!もちろん苦労も多いけどそれがあるから喜びが2倍になる。酪農やってるからこんなに幸せです。
 関係者の皆さん、応援をして下さった皆さん、農大生の貴士君、家族のみんな、そして私をこんなに丈夫な体に作ってくれた両親にありがとう。それと私がみんなと一緒に感動できたのは1週間留守の牛舎を守ってくれたヘルパーさんたちのおかげです。大変だったでしょう?それとストレスに負けずがんばってくれたトニーとプリンセスありがとう。みんなみんなありがとう。本当、よかったです。そして21世紀はもっともっと感動したいで−す。
 私ってちょっと欲張りかな?・・・・以上。

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