「牛乳って、温かいんだネ」

(株)グリーヒル・アトー 代表取締役 渡 辺 秀 雄  

はじめに

 「おじさん、うさぎってなぜ温かいの?」昭和61年に都市部の小学3年生とその母親を、(有)船方総合農場に招待した体験学習「わんぱく農場」で、兎を抱いた男の子が真剣な目で私に尋ねかけてきた。

 この言葉は、「大規模複合経営」により国際市場に対応出来る日本農業のスガタを目指し、鋭意努力を繰り返すもコストダウンにつながらず、今後の農業農村の歩むべき方向を模索していた農場に、小さな燈火を与えてくれた。

 昭和62年、「農業生産の場」の一部を開放し、都市の皆さんとの会話を重ね、農業への理解を求めようと、「交流事業」に着手し、10年の経過を見た。

 ここに、「都市と農村の架け橋」役として、体験し、学んだことをのべる。

写真:船方総合農場全景

 

農業の現場には、都市住民が「忘れてしまったモノ」がある

 「おいっ、温かいぞ」。今春、修学旅行で大阪からやって来た中学3年生が、乳搾りを体験した時の感想である。なるほど、彼らにとって牛乳は冷蔵庫の中で生活しているもので、その生産母体である乳牛までが、冷たいと思っていたようである。ちなみに、牛の体温は人間より少し高く、37度ある。

 「エッ、乳牛は子牛を産まないと乳が出ないの?」ある若妻学級のグループを農場案内していた時の言葉である。私の方が驚いて次の言葉を失った。

 聞いてみると、「乳牛は生まれて3年経つと、乳が出始め、死ぬまで出る」いつの間にか、乳牛は哺乳動物から牛乳を生産する機械になっていた。

 戦後、日本社会全体が物の豊かさを求め、一丸となって「経済大国日本」を目指して頑張ってきた、そして、その目標は達成された。

写真:乳しぼりを見学する子供たち

 しかし、余りにも一面的で、急速だったため、国民の多くが人間以外の生き物から遠ざかり、「自然とふれあう機会」を自ら失いつつある。

 最近、国民に大きなショックを与えた神戸の小学生殺人事件が、今後私逹の身近な所で起きても決して不思議ではない。彼にとってみれば、「殺すか、殺されるかの行為でなく、「自分が生きていくあかし」を模索した結果であり、彼が過去14年間に、土に触れ、いろいろな生き物の温かさを感じる機会に恵まれていたら、全く違った視野で判断が出来ていたと思えてならない。

 農場の牛舎を見学中、乳牛の出産に出会った子供逹が、母牛を励まし、子牛の誕生に感動し、立ち上がった子牛に思わず拍手を送る姿を眺めながら、本や学校では学べない貴重な体感価値が、農業の現場でいきている。

 このような体験を通して、農業の持つ生命を守り育てるという「他面的機能」に直に触れることは、人間以外の生き物をうしないつつある都市社会の人々にとって非常に大切なことであり、今後の地域社会の在り方として、如何に「都市と農村が連携出来るか」大きな課題になると思う。

 

農業の現場のありのままを、都市住民に開放する

 (有)船方総合農場には、年間12万7千もの人が訪れるようになった。都市住民が求める何かが農場にあるのだろう。

 「理由は?」と聞かれても、即答できるものは何もない。ただ、約30haの農場の敷地の中で、酪農を中心とした農業が休むことなく営まれ、そこから成熟する色、香、音、味、等の中に、四季のない、アスファルトで覆われた都市で生活する人にとっては、何か五感を刺激する新鮮なものがあるようである。

 「なぜ、ゴルフ場を経営しないのか?」4年前まで、よく耳にした言葉である。お客さまの目の前に広がる緑の絨毯を敷き並べたような牧草地は、乳牛のエサとして1年に3回、耕起、播種、刈り取りを行う農場の畑で、景観を保つための広場では決してない。

写真:農場での食事

写真:農場での遊び

 「ウッ、クサイ!」

 農場内で牛舎に近づくと、町から来たお母さんと子供逹がハンカチで鼻をつまんで見学する。だが、1時間もすると鼻も馴れ、風が運んだ牛舎の香りを気にせず、草地で走り回り、「おじちゃん、楽しかったョ。また来るからね」と帰ってゆく。

 昭和63年9月、食事の中に1メニューとして農場の牛乳を出す。食事客の多い日には30リットルの乳缶で対応する。その乳缶が30分も経たない間にカラッポになっていた。持参された水筒に牛乳を入れ、持ち帰ろうというお客様の知恵である。(以後、番兵を付ける運びとなった。)

 このお客様の知恵が、「生産物の加工・販売の場」を建設する大きな引き金となり、平成5年8月、加工場を完成し、お客様に胸を張って牛乳をお届けできるようになった。

 

おわりに

 都市と農村の架け橋の役目を担って10年「都市部の悩み」、「農村部の悩み」をそれぞれに述べてみたつもりである。

 国民が、農業農村に求める役割が、期待がフルスピートで変化している時、農業者は生産活動にのみ没頭し、「作れば売れる」と信じてきた。そして今、その言葉が「売れないはずがない」と変化した。しかし国民の期待する言葉は「どうすれば買ってもらえるか」だと思う。

 我々農業者が、胸襟を開いて、農業、農村のありのままを見せ、触れていただくことが、都市の皆さんが、忘れかけた「命への思い」と、「食べ物の大切さ」を取戻し、農業の良き理解者になってもらえると思う。

 

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