山口大学農学部教授 農学博士 糸原 義人

はしがき−食料の持つ意味と課題− 

 バブル経済が崩壊し、 急激な貿易黒字拡大に対する外圧が激しかった1993年12月14日は、 細川政権が貿易摩擦解消の一貫としてガット・ウルグアイ・ラウンドで 「例外なき関税化」 を受け入れた歴史的な日である。 これにより、 ほぼ全ての主要農産物の関税化が決定され、 米については1995年から2000年にかけてミニマムアクセスを約束するものになっている。

 こうして、 一足先に自由貿易品目として取り扱われ、 急激な輸入拡大による価格低下で困窮化しつつある牛肉、 オレンジとともに、 ラウンド関連対策として打ち出された新食糧法によって価格支持政策が破棄され、 豊作下の輸入拡大で米価が急落している稲作も困難の度を増している。 このように、 貿易自由化前後を境にして食糧自給率を大きく低減させながら現在、 稲作・畜産・柑橘というわが国を代表する作目は大きな転機を迎えつつある。

 ところで、 わが国農業界に大きな犠牲を強いた世界的な農産物貿易自由化の中で、 1995年1月1日からWTO (世界貿易機構) が発足し、 農産物に限って言えば "関税化" とともに "ハーモニゼーション" という食料の安全基準の国際的統一化が進んでいる。 ここでの基本的な考え方は世界的に農産物貿易を促進することであり、 農薬残留基準の基準設定や厳しい基準の行政能力を持たない途上国が輸出しやすくなるような基準値が基本的に求められ、 こうした政府の補完的役割を "ハーモニゼーション" は持つことになる。 これに伴い先進国では食料の安全基準の大幅な緩和が求められ、 また実際に緩和された基準が現在実行されている。 言い換えれば、 わが国から見れば、 腐らない、 虫がつかないようにするために、 最もコストの安い農薬でポストハーベスト処理されたものが、 そしてさらに言えば、 自給率の極端に低いわが国の場合、 カロリーベースで換算すればほぼ60%までのポストハーベスト処理されたものが、 輸入農産物としてわが国に輸入されていると考えることができる。

 このようなWTO体制下の自由貿易システムの中で、 農薬基準が緩和されつつある輸入農産物や添加物を多く用いた加工食品を食料の基本としつつあるわが国で、 子供達の食物アレルギー、 アトピーなどが蔓延しつつある。 また、 最近では環境ホルモンの問題も指摘されている。

 確かに、 これらの関連を科学的に一つ一つ証明するのは難しいかもしれない。 WTOでも、 「科学的に問題点を証明できないものは使用してもよい」 との立場であり、 こうした薬剤、 薬品処理された食材の問題点を指摘できない場合、 我々は日常的にそのような食材を 「食べる」 しかない。 しかし、 健康に障害が現れてから問題点を指摘しても遅い。 既に我々は毎日の生活の中でほぼ60%の外国産農産物を食していることを考えれば、 WTOのポストハーベスト基準の緩和が日本人にとっていかに危険なものか類推できるだろう。 食料の自給率が低下すればするほど、 こうした危険性は高まる。

 わが国の財界・経済界は全てを貿易対象とし、 国民の健康を保証する食料でさえも多くを輸入に頼ろうとする。 ここに見られる姿は、 「健康を売って、 お金を稼ぐ」 貧しい守銭奴の姿以外の何ものでもない。 現在の食料問題は、 まさに飽食に酔いしれる現在の日本人に突きつけられた最も根源的な問題でもある。 今我々は何をなすべきか、 どのような農法を考えるべきか問われている。

 

1 食料問題の今後の視点

 わが国の食料安全保障 (食料安保) の基本的な考え方は、 [1]国内生産の維持、 [2]安定輸入の確保の2点に絞られる。 特に財界・経済界がねらうのは、 消費者からの要望の強い食品産業への安定的な低価格国内農産物供給であり、 そのために市場原理の一層の促進がうたわれている。 市場原理では需要と供給が一致する点で価格は決まることになるが、 貿易の自由化によって外国から自由に農産物が流入できるようにしておいて市場原理を導入すれば、 価格は低位に安定することになり、 財界・経済界がねらう低価格の国内農産物供給目的に一致したものになる。

 しかし、 低価格は食品産業にとっては有利かもしれないが、 生産者にとっては過酷なものであり、 こうした影響があってかどうか確定はできないが、 国内農業者は最近急速に高齢化し減少しつつある。 農業者の減少は必然的に輸入農産物の拡大を促すことになるが、 ここでの国内農産物と輸入農産物の代替はただ単に量的な側面だけについての話であり、 国内農産物の減少は単純に輸入農産物の増大によってカバーできるとされる。

 勿論、 輸入が安定的に確保されるためにはわが国の国力がいつまでも強いことが前提になるが、 最近のわが国の経済状況を見る限りにおいてその保証は無く、 また国際的な環境問題、 温暖化、 人口増加などを考えると、 必ずしも将来とも安定輸入が確保されるとは限らない。 それにも増して重要な問題は、 こうした結果としての規制緩和されたポストハーベスト、 環境ホルモン汚染された輸入農産物を食しなければならないという事実である。 いくら金銭的に豊かになっても、 健康を阻害して病院生活をおくるとするなら、 金銭的な豊かさの意味はない。

 今後我々が持たねばならない視点は食料に限れば、 量的視点の食料安保と共に、 健康重視の質的視点の食料安保でなければならない。 いや、 むしろ将来の国民健康の健全性を願うなら、 質的視点を重視する考え方が大切であり、 国内農産物の消費拡大、 言いかえれば食料自給率から考えて、 絶対的耕地面積が不足しているわが国の国内農業生産基盤の維持・拡大、 農薬・化学肥料多用の近代農法から地球環境を維持し、 生態系を擁護する農法へと農業・農政の視点を変える必要がある。 ここに、 輸入農産物と国内農産物によって立つ根本的な違いを明示することができる。

 以下で、 最近の消費者の青果物への需要動向を簡単に捉え、 農業生産、 食料供給の国民的期待を示しておきたい。

表1 食材購入の基準

アイテム

カテゴリー

実数

アイテム

カテゴリー

実数

価 格

優先する
できたら優先する
考えない
不明

191
164
13
5

味・おいしさ

優先する
できたら優先する
考えない
不明

281
86
2
4

総数

373

総数

373

鮮 度

優先する
できたら優先する
考えない
不明

325
44
1
3

旬 の 物

優先する
できたら優先する
考えない
不明

173
179
18
3

総数

373

総数

373

農薬等安全性

優先する
できたら優先する
考えない
不明

155
191
24
3

価格と安全性

優先する
できたら優先する
考えない
不明

19
65
189
99

総数

373

総数

373

      出所:山口県におけるアンケート調査,1997

2 消費者意識と農産物供給の展開方向

 表1は消費者に対するアンケートの一部である。 これによれば、 消費者が青果物を購入する際に考えるのは主に、 鮮度、 味・おいしさ、 価格、 旬の物、 安全性であり、 比較的安全性への評価も高い。 表2から、 年代間の違いをみれば、 特に価格と生産者に対する認識に違いがある (カテゴリースコアが "+" 値の場合は若者の意向が、 "−" 値の場合には高齢者意向が強くなる)。 概して、 若年者は低価格志向が強い反面、 その青果物を誰が作っているかには無関心であるが、 年代が高くなるにつれて価格志向は弱まり、 その青果物を誰が作っているのかという顔の見える取引、 信頼をもとにした安心・安全な生産物に注意が向く様子が窺われる。

 こうした消費者意識を考えれば、 今後わが国の団塊の世代が急激な高齢化社会を迎えるに当たって希望する食材は、 新鮮で季節性があり、 安心・安全なものであるといってよいものと思われる。 こうした傾向は、 第1節で述べた食料の質的重視の視点と一致しており、したがって、 今生産者が意識しなければならないのは、 財界・経済界が主張する安価な量的食料の確保というよりも、 むしろ、 いかに良心的で、 そして新鮮で季節性があっておいしく、 かつ安心・安全な食材を提供できるかにあるといえる。

 では、 以上のような消費者の要望に応えられるような、 そして国民の健康を維持できる ような食料の生産基盤、 生産形態はどのようなものである必要があるのだろうか。

表2 青果物購入基準カテゴリースコア

項  目
購入基準
カテゴリー名 カテゴリースコア 目的変数・年代
価 格 優先する
できたら優先
考えない
180
156
11
0.3443
-0.2829
-1.6209
1.9652 0.1701 **
鮮 度 優先する
できたら優先
考えない
305
41
1
-0.0119
0.0391
-2.036
2.0480.0465  

おいしさ
優先する
できたら優先
考えない
262
83
2
0.0527
-0.1557
-0.44
0.49260.0367  
安 全 性 優先する
できたら優先
考えない
142
181
24
0.0236
-0.0664
0.3614
0.4278 0.0419  
産 地 優先する
できたら優先
考えない
37
194
116
0.3877
-0.2388
0.2756
0.6264 0.1093
生 産 者 優先する
できたら優先
考えない
14
113
220
-2.2969
-0.0296
0.1614
2.4583 0.1922 **
品 質
栄 養
優先する
できたら優先
考えない
115
190
42
-0.3974
0.2772
-0.1656
0.6746 0.1229
商 品 の
姿 ・ 形
優先する
できたら優先
考えない
71
165
111
0.4171
-0.063
-0.1731
0.5903 0.0878  
利 便 性
簡 便 性
優先する
できたら優先
考えない
65
201
81
-0.0165
-0.0505
0.1386
0.1891 0.0314  
質より量 優先する
できたら優先
考えない
16
125
206
0.6242
0.1348
-0.1303
0.7545 0.074  
旬 の 物 優先する
できたら優先
考えない
157
172
18
-0.2873
0.1869
0.7203
1.0076 0.1157
注1)ただし、**は有意水準0.01で有意、*は有意水準0.05で有意
注2)記号Rはレンジ、Hは偏相関係数、Dは独立性検定を表す。
資料)山口県におけるアンケート結果、1997による。

 

3 農業生産基盤の維持・拡大と環境保全型農業

 1) 海外に借地している農地

 現在わが国は多くの食料を海外に依存しているが、 こうした輸入農産物を生産するのに必要な作付面積は約1200万haとの試算が出ている (図1参照)。 農産物貿易の自由化という名の下にますます海外農産物に依存しつつあるわが国では、 1960年に607万haあった農地面積は1996年には全国で499万haとなり、 農地面積の減少に歯止めがかかってはいない。 言い換えれば、 海外に借地している面積は年々増加していると考えてもよい。 こうした事態は国民の健康を考える上で見逃すことはできない。 現在のわが国の食料需要を満たすだけの、 1700万haという農地はわが国に存在していない。 とするなら、 少なくとも現在の499万haという農地をこれ以上減らすことがあってはならない。

 図1 輸入農産物生産に必要な海外の作付面積

単位:万ha

海外依存
面  積

小 麦

237

トウモロコシ

216

大 豆

189

その他作物

327

畜産物
飼料換算
227

合  計

1,196

国内農地
面  積

506万ha

     出所:農林水産省「平成8年度 農業白書」
     注:各作物毎に主な輸入先国の単収を利用して試算

 

 2) 環境保全型農業

 今後わが国で圧倒的多数を占めるようになるであろう、 高齢者という消費者が求める新鮮で季節性があっておいしく、 かつ安心・安全な食材は、 化学肥料、 農薬使用量の節減があり、 微量栄養素を充分に含んだ豊かな土壌から得られるものであろう。

 農作物は土壌から生産され、 土壌はまた地表の生態系の中心的な位置を占め、 物質の循環や生活環境の保持に大きな役割を果たしてもいる。 土壌は土壌無機物と土壌有機物からなり、 有機物は分解して作物の栄養要素となる。 通常、 土壌有機物を "腐植" というが、 ”腐植” は多様な物質の集合体であるので、 この中に既知の化合物を求めても意味がない。 すなわち、 様々な微量栄養素を多く含み、 本当の意味でおいしく、 かつ安心・安全な作物は、 既知の化学肥料を多用された作物ではなく、 "腐植" を多く含み、 多用な微量栄養素に富む土壌から生産された作物と言える。 勿論、 化学肥料を全面的に否定するのではない。 "腐植" の定義にあるように、 「"腐植"とは多様な物質の集合体である」 ので、 ある栄養素の補充によって作物の生育がよくなる場合がある。 化学肥料は "腐植" を補う形で使用されるべきであり、 化学肥料が主役になった場合には、 それぞれの作物が本来持つであろう、 微妙な風味が阻害される可能性は否定できない。 また化学肥料の多用は、 硝酸性窒素などの形となって地下水汚染等の環境汚染を誘発する場合もあり、 生活環境が壊される場合もある。 いずれにしても、 腐植、 化学肥料、 それぞれの役割を踏まえた作物生産が求められるゆえんである。

 こうした化学肥料、 農薬を節減し、 家畜糞尿などの有機物リサイクルも含め、 "腐植 (土壌有機物) " を中心にすえた農薬を "環境保全型農薬" という言い方をすれば、 有機農業も環境保全型農業の一形態とされる。 したがって、 今後の国民の健康、 消費者ニーズに応える農業は環境保全型農業ということになろうが、 こうした環境への負荷が少ない農法は未だ充分開発されているとは言い難く、 問題は多い。 しかし、 国民から支持され、 またこの傾向は益々強まることが予想される昨今、 "環境保全型農業" への取組は強化される必要があろう (表3に環境保全型農業のタイプ別イメージを掲げておく)。

 表3 環境保全型農業タイプ別イメージ

各タイプの農業の実践条件
(作物・技術・出荷・販売・気象・経営・地形・立地など)
 


区 分

タ イ プ T

タ イ プ U

減〜無化学肥料
減〜無農薬栽培

有機農業

内 容

土づくりなど、既存の技術を活用して可能な範囲で化学肥料・農薬を節減し、環境負荷を軽減

リサイクルの推進、施肥・防除基準の見直し、新技術・資材の活用の推進などにより、一層環境負荷を軽減

環境負荷の軽減とともに、消費者ニーズに対応して、化学肥料、農薬を概ね慣行の5割以下〜全く使用しない方法で農作物供給

環境負荷の軽減とともに、消費者ニーズに対応して、化学肥料・農薬に基本的に依存しない栽培方法により農産物供給

技 術

  • 土づくり
  • 田畑輪かん
  • 合理的作付体系
  • フェロモン
  • 天敵昆虫・微生物
  • 施肥基準の見直し

  • 未利用有機物の高速肥料化技術
  • 耐病・耐虫生を備えた抵抗性品種
  • 地形連鎖を利用した養分の合理的利用技術
  • 農薬廃棄物の適正処理

  • 在来種苗の導入
  • アイガモ導入

出所:三輪昌男「ファクトブック97」JA全中,1997

 

4 国民的ニーズに応える "農業" 成立の基礎条件

 ところで、 環境保全型農業はLow input sustainable agriculture (LISA) で示されるように、 化学肥料投入をできるだけ低く押さえて土壌劣化を防止する "低投入持続型農業" が本旨であり、 環境負荷をできるだけ少なくして永続的に農業生産が可能になるようにすることに意味がある。 そのためには、 化成肥料に頼らず、 また季節的不規則的ではなく、 特に周年的に栽培する作目の場合には、 日々堆肥を生み出す畜産から耕種への安定的な堆肥供給システムが必要であり、 堆肥の農業生産での有用性が認められなければならない。

1) 技術的課題と対応

 (1) 堆肥の効用

 堆肥は有機質肥料であるが、 有機物の効果として一般に次の4つの効果が指摘される。

  [1] 化学的効果

 窒素、 ケイ素、 リン酸、 微量要素など有機物中に含まれる無機要素の効果。 有機物は微量要素の給源としての意義が十分にある。

  [2] 生化学的効果

 土壌に有機物を加えると、 微生物活動が活性化する。 微生物活性の主体は土壌バクテリアであり、 バクテリア活性の強い土壌は良好な土壌といえる。

  [3] 物理化学的効果

 有機物の持つ水酸基や炭酸基によって陽イオンの吸収を行い、 土壌pHに対する緩衝作用がある。

  [4] 物理的作用

 有機物を大量に投入することによって、 物理的に土壌を和らげ、 あるいは土壌マルチとして使用できる。 また、 土壌バクテリアの分泌物や糸状菌の菌糸によって、 土壌が団粒化する。

 良質な堆肥を加えることによって、 土壌バクテリアが活性化し、 連作障害などが抑制され、 また土壌が団粒化し、 無機要素とともに、 微量要素が十分与えられることによって作物は作物本来の健全な生育をする。

 化成肥料は基本的に "腐植" を含まず。 したがって土壌バクテリアの働きを阻害する効果があり、 結果として土壌の団粒化も難しくなる。

 このように、 堆肥は土づくりにとって必要不可欠であり、 土壌バクテリアの働きによって良好な土壌が形成され、 微量要素によって味わい深い良質な作物が栽培される。

 ただし、 有機質肥料、 堆肥を使用する場合、 次の点に留意しておくことが指摘されている。

 (2) 堆肥使用上の注意

  [1] 作物の種類

 収穫後、 土壌中に切り株や根として大量に有機物が残る場合、 無機質肥料投与が有機質肥料を与えたと同じ効果を持つ。 逆に、 地下に何も残らない作目の場合には、 有機物の補給の必要性が高い。

  [2] 有機物の種類

 @) 肥料中でも堆きゅう肥の組成は、 畜種、 農家の飼養管理差、 地域差などによって違いがあり、 それぞれの堆きゅう肥の窒素、 カリなどの養分含有量と相互のバランスおよびそれらの肥効にバラツキが大きい。

 A) 野菜作では連作・輪作における作物の組合せや作付け時期が多様であるため、 堆きゅう肥に依存して野菜の養分要求に見合う肥効調節を行うことが難しい。

 B) 堆きゅう肥の組成によって、 その含む養分や土壌中での分解の速さは千差万別であり、 それぞれの堆きゅう肥を一様と考えることができない。

 [3] 脱窒現象

 有機物を多用すると、 有機物中の窒素だけでなく、 併用される無機質肥料の窒素も脱窒するおそれがある。

 確かに、 堆きゅう肥使用上の問題はある。 しかし、 含有成分濃度の明示と堆きゅう肥の養分勘定の精度を向上させ、 地域特性に根ざした修正を考慮しながら複数地域の堆きゅう肥を混用するなどして、 養分の偏りをある程度解消させたり、 無機質肥料で不足養分を補填するなど、 こうした問題は技術的に解決されていくものと思われる。

 したがって今後、 より技術的な改良が堆きゅう肥に加えられるなら、 堆きゅう肥のもつ本来の有用性が高められ、 化学肥料が基本的に持ち得ない、 土壌改良としての働きの強いものになることが想定される。

 (3) 作物特性と施肥基準

 以上のことを考えれば、 堆きゅう肥は消費者が希望する 「おいしくて、 安心・安全な食生活」 への期待に応え、 国民の健康維持に必要なものであり、 ただその施用法に注意することが求められていると考えることができる。

 最近の稲作は、 コンバインで籾だけを回収し、 稲ワラは水田にそのままカッターで切り込んで返す様式が少なからず取られている。 一般に稲ワラの炭素率は高く、 窒素飢餓になる可能性もある。 しかし、 食味重視の傾向から、 窒素過多だと米の食味を落とすといわれ、 堆きゅう肥の使用が極力押さえられる傾向にある。 微量要素の補給など、 堆きゅう肥の持つ効用を考えながら、 こうした要求に対して、 土壌特性をよく理解した新たな施肥設計が考えられる必要がある。

 また、 作物によっては必要とする養分と、 収奪され常に補給されなければならない養分とに違いがあり、 こうした違いを理解した施肥設計が求められる。 稲作などは基本的に籾だけが収穫され、 切り株、 根は収穫後水田に残ることになるが、 大根などの根菜類は根から葉までの全てを収穫され、 それだけ養分補給は大きくなる。 微量要素の補給は堆きゅう肥が最も優れたものの一つであり、 こうした作物特性を踏まえれば、 作物の種類も問わず画一的な堆きゅう肥の是非を問う姿は正しい姿勢とは言えない。 いずれにしても、 堆きゅう肥の及ばない点をよく理解しながら、 その持つ能力を最大限に発揮させることが、 消費者、 ひいては国民のニーズに応えることになるものと思われる (表4に有機物施用量基準の一例を掲げておく)。

 表4 関東東海地域有機物施用量基準

単位:t/10t

作 物

堆 肥

(ワラ類)

ワ ラ 類

おがくず入り糞堆肥

水 稲 0.5〜2.0 0.1〜0.7 1.0〜2.5 0.5〜1.5 0.5〜1.0
野 菜
果 樹
0.5〜5.0
1.0〜7.0
1.0〜7.0
0.5〜1.5
0.5〜3.0
0.5〜1.5
1.0〜5.0
1.0〜7.0
1.0〜10.0
1.0〜4.0
0.5〜5.0
0.5〜5.0
1.0〜4.0
1.0
1.0〜4.0

 出所:農研センター,1984

 

 

2) 経営経済的視点

 土づくりの基本は堆肥にあり、 今後消費者意識、 国民健康のことを考えれば、 成分調整されたバランスのある堆肥は耕種農家にとって必要不可欠なものになることが想定される。

 とするなら、 耕種農家にどれほど低価格で良質な堆肥を供給できるかが問われる。 しかし堆肥の有用性が認められたとしても、 こうした経営経済的な視点から価格に見合った品質が保証されず、 また無償であっても堆肥化されていない低品質なものを使用するなど、 使用に問題がある場合が多々ある。 コスト意識に基づいた、 良質な低価格堆肥供給の仕組みと体制づくりがより一層求められる。

3) 山口県における家畜堆肥の需給概況

 表5は、 山口県における家畜ふん尿を全て家畜堆きゅう肥にした場合の、 家畜堆きゅう肥年間生産量の概略を極めて大胆に示したものである。 堆きゅう肥を水田に1ha当たり10t、 畑地には20tを施肥するとすれば、 県内全耕地面積に必要な堆きゅう肥は604,000tであり、 県内充足率は約56.8%となる。 平成9年現在の県内堆肥センターの設置状況は64ヵ所程度はあり、 供給可能量は77,172tであり、 充足率は約12.8%となる。 勿論、 ここで試算した数値は極めて概略で、 堆肥投与基準値としての1ha当たり10t、 20tという数値も、 投入量としては最低水準かもしれない。 しかし、 そうした意味からしても山口県の家畜堆きゅう肥の供給潜在能力は小さい。 現実的にもその充足率は10%台と極めて小さく、 本県の畜産振興が望まれるとともに、 家畜ふん尿の全量堆肥化への取組が必要とされる。

表5 山口県における家畜堆肥の需給状況

1.家畜堆肥の年間生産量

畜 産

区 分

1日当たり
排 出 量

飼養頭羽数

生 成 堆 肥

kg

頭・羽

乳 牛

経 産 牛
育 成 牛

30
10

4,441
1,617

48,629 
5,920 

小 計

   

54,549 

肉 用 牛

繁 殖 牛
育 成 牛
肥 育 牛

20
7
15

4,402
3,667
12,738

32,135 
9,370 
69,741 

小 計

   

111,246 

繁 殖 豚
子 豚
肉 豚

 3
0.8
1.9

3,678
11,771
17,028

4,037 
3,437 
11,809 

小 計

   

19,283 

採 卵 鶏

成 鶏

0.14
0.06

2,896,092
832,474

147,990 
18,231 

小 計

   

166,221 

ブロイラー

0.13

1,628,850

77,289 

合 計

 

1,628,850

428,588 

理想堆肥生産量(a)t
実際堆肥生産量(b)t
(b/a)×100%

   

342,870 
77,142 
22.50%

2.堆きゅう肥必要量

1ha当たり
必 要 堆 肥

全耕地面積

必 要 量

水田必要量
畑地必要量
合 計

10t
20t

40,800ha
9,800ha
50,600ha

408000t
  196000t
604000t

3.充足率

全量堆肥化
した場合

肉用牛だけ
の場合

 

全耕地面積

56.80%

18.40%

 

注1:飼養頭羽数は平成9年の値(山口県)

 以上のように、 国民的ニーズに応えうる "農業" にとって、 堆肥の持つ意義は大きく、 堆肥の意味・使用方法の問題点などを理解し改善することを条件に、 堆肥は土づくりの意味で欠かすことはできない。 有機質肥料を基本としながら、 できるだけ環境負荷を押さえようとする環境保全的な農業の全面的展開は、 環境保全的な農業を展開するための基礎的条件の一つとしての本県の畜産規模からして難しい。 しかし、 これからの消費者、 国民の希望を考慮すれば、 こうした環境負荷を小さくする農業、 換言すれば、 人間の体への負荷を軽減する農業への要望は強まることこそあれ、 弱まることはない。 我々が経済的価値だけでなく、 農業の持つ本当の姿を熟慮し、 国民健康の将来の維持・発展を望むとき、 食料を生み出す土壌の健全化に資する堆きゅう肥の持つ意味は大きい。 畜産と耕種農家の地域連携が食を通じて国民健康に直結していることを思えば、 本県の畜産の絶対的規模は小さく、 また堆肥供給施設も充分ではない。 畜産発展のために経営の充実化を進めながら、 畜産経営上のネックとしての環境問題を派生する家畜排泄物を堆きゅう肥化することは、 資源の有効活用と資源循環システム構築が図られることになり、 地域環境保全と環境保全的農業展開、 そして畜産物生産自体の拡大という 「畜産振興、 農法の改革、 環境保全」 という、 地域活性化の芽を生み出すことにもなる。 今後の全県的取組の、 より一層の強化が望まれる。

 

5 む す び

 本県農業が、 もしも市場原理に基づいた近代農法による低価格中心の食材供給を考える財界・経済界と同じ道を歩もうとするなら、 市場競争を前提とした経済的価値観だけで、 自然的条件や経営規模、 技術力などで相対的な劣位にある本県農業が生き残ることは難しい。 農産物生産の面で比較劣位にある本県農業が発展するためには、 したがって経済的価値観とともに、 「持続的な山口県を支えるためには、 県民の健康は我々の手で守る」 というような使命感が必要であり、 この使命感の目的に適した農法、 技術開発、 市場展開が一方で望まれる。

 現在わが国はWTO体制の下、 ポストハーベスト処理された輸入農産物急増下にあって、 国民は皆将来の健康に不安を抱えつつある。 また、 高齢化した団塊の世代が今後わが国消費者の圧倒的多数を占めることが予想されるものになっているが、 彼らが食材に期待するのは 「新鮮で季節性があっておいしく、 安くて、 安心・安全なもの」 である。 こうした食材は、 "安さ" を除けば、 基本的にわが国で生産するしかなく、 その対応に乗り遅れた産地は必然的に産地間競争の中で縮小・衰退していくしかない。

 その場合に大切なことは、 こうした希望を生産現場で具体化する場合、 有機質肥料を中心とした健全な土壌づくりが必要であるという認識であり、 落ち葉や稲ワラなど様々な有機質素材を含めて、 堆肥生産規模、 地域の環境保全、 資源の有効利用などからして、 畜産から生み出される堆きゅう肥が健全な土壌づくりの基本となる必要がある。

 本県農業が将来とも発展し続けるためには、 様々な経営経済的条件不利を使命感をもって克服し、 消費者ニーズ、 国民福祉の立場から、 畜産を基に据えた環境保全的な全県的農業展開が望まれる。 相対的に比較劣位にある本県農産物の市場での差別化商品としての力も、 ここに集約されるものと思われる。 しかし、 畜産規模が小さい本県にあって、 現実には全県的な環境保全的農業展開は難しい。 方向性として、 環境保全的農業展開を求めながら、 徐々に目標を達成していくことになろう。

 冒頭に提起したように、 本県がこれからの食料問題に貢献する道は、 将来の国民的課題を踏まえれば、 輸入農産物の増加に伴い減少しつつある食料生産基盤としての農地を守ることとともに、 食料の質的側面を重視した施策の展開を図るこ

とであろう。 そのためには、 畜産と耕種農業の振興が必要であり、 堆きゅう肥を介した循環型農業システムの構築が望まれる。 また、 質的側面を重視する農業はコストが高くなるという負の側面を持つが、 国民の健康擁護を前面に出した、 良心的な食材提供という名目での消費者の理解を得るための啓蒙活動がより大切になろう。

 いずれにしても、 近代農法で遅れを取っている山口県農業が、 今後特色ある農業展開をするためには畜産を抜きにして考えることはできない。 今後の山口県農業の浮沈は畜産をどのように捉え、 位置づけ、 振興するかにかかっているといっても過言ではない。

参考文献

【1】 「平成8年度 家畜ふん尿処理利用研究会報告書」 農業研究センター・畜産試験場・草地試験場, 1997.
【2】 「平成9年度 良質堆肥生産と流通販売」 (社) 山口県畜産会, 1998.
【3】 「平成6年度 中山間地域資源活用調査報告書」 中四国農政局計画部資源課, 1995.

以上


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